小説家・京極夏彦先生が語った「原作ファンが舞台化になぜ怒るのか」が話題に
Wednesday 20:15
2019年6月〜7月に上演される、京極夏彦先生の大人気小説「百鬼夜行シリーズ」第2作目『魍魎の匣』の舞台。本舞台の顔合わせ現場レポートが舞台お総合情報サイト「エンタステージ」にて掲載されました。
このレポートにある、京極先生の「原作がある作品の舞台化で原作ファンがなぜ怒るのか」について語られた言葉が大きな注目を集めています。
一切メディアミックス展開に対して監修は行っていない京極先生。求めるものは”必ずおもしろいものを作ってください”という一点だけ。
この顔合わせでも「皆さんが、身体を使って、自分なりの『魍魎の匣』を作ってくだされば、私はそれで満足でございます」と語られています。
続けて、「観客が喜ぶのが何より。原作がある場合、その原作のファンが怒るケースがありますが、それは、原作と変えたから怒るのではなく、作品があまりよろしくなかったからです。原作とどれだけ違っていても、観客や読者に同意を得られれば決してそうは言われません。」と原作ファンがなぜ怒るのか、その理由を語られました。
この京極先生の言葉に「その通り」「京極先生の言葉に頷いて首がもげる勢い」「京極先生の言葉はファンが求めてるそれ」と、共感の声が多くあがっています。
みんなの反応
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赤べこ並に首を縦に振ってしまった
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言うより言われた言葉が残るに残る。
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ゴジラKOMが良い例だね
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ほんこれ!!!!!!!だから名探偵ピカチュウは怒られないんやぞ!!!!!!!!!
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原作と違ってても良いものは評価されるしダメなものは原作通りでもダメ。
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その通り。
アニメ化やリメイクとかもそうだと思う。
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演者の方々だけのせいでなく『妥協』を感じる作品ほど、叩かれるんじゃないかなぁ、実際は…と思いたい。
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京極先生の原作ファンが怒る理由ほんまそれなすぎて………原作ファンじゃないけど原作読んでるときが一番楽しいしキレたくないからハードル捨てたい
顔合わせ現場レポートは、舞台『魍魎の匣』がどのように作られていくのか、スタッフやキャストの想いなど内容の濃いものになっていますのでぜひご覧ください。
京極夏彦の言葉に松崎史也、橘ケンチら感無量『魍魎の匣』顔合わせ現場レポート
https://enterstage.jp/news/2019/06/012182.html
舞台『魍魎の匣』
公式サイト:https://www.nelke.co.jp/stage/mouryou/
公式Twitter:https://twitter.com/stage_mouryou
アニメ化だろうが舞台化だろうが、面白いと思われるように作るのは大前提で、それプラス原作の雰囲気やらテーマをきちんと受け継いでないと。
別物として見れば面白いというのは理解できるけど、それだと原作とは…?ってなるし。
面白ければ原作と違っても良いっていうのは違うと思うのだが…。
原作と違う展開やオリキャラがいても、上手な作品だと
こういう未来もあり得たかもしれないと
思わせる説得力があるんだよね
ただまあ、それはそれとして「その別メディア化(この場合は舞台化)が一作品として出来が良いのは認めるけど、違うところが多すぎて作品の派生とは認めない、認めたくない」って感じるファンもいるよね。それを否定するのもどうかなと思う。
個人的には原作の雰囲気を大事にしてるかどうかが大事かな
設定とか変わっていても原作の雰囲気がちゃんと再現されてたら許せる
でも監督や脚本家が「自分たちの作りたいもの」だけを追求してるのは無理
それならもう、一からオリジナル作れよって思うよね。
原作ありきの作品や既にアニメ化されている作品を実写化となると、どうしてもハードルが上がってしまうのは仕方ないこと。
だって、人のイメージや2次元の表現を超えることは難しくて当然なんだから。
大事なのは、そこに”愛”と”リスペクト”があるかどうか。
旬だからという理由のみでキャスティングされたイメージとはかけ離れた役者だったり、表現の限界まで練らず妥協したり、キャラの性格や関係性を変更しそのキャラたる所以をなくしたり、ファンの思いを逆撫でするようなことをすれば、とても愛があるようにもリスペクトがあるようにも見えないって思われても仕方ないし、それだけ批判があるのも当然。
どんな駄作だろうと世に出てしまえば、こういう作品なんだと世間的には見られてしまうのが、私達ファンにとって1番苦痛で悲しくて許せないことなんです。
だから、実写化反対の声が一定数あるのも分かるし、それを踏まえた上で期待値を超えるだけの良い作品を作って貰いたいっていう気持ちもある。
時代背景や場所とか細かな部分も含めてファンが好きだと思う作品の構成要素を軽んじてて、作品の味である柱をぼきぼき挿げ替えたらそりゃ別物になるよね。
予算か人材、技術の限界なのか、「っぽい他のもの」にしちゃうから、三次元になった時、原作知らない人には受けても知ってる人からはブーイングを食らう。でもまだ原作を知らない人からは受け入れられた作品を作れた人は凄いのかと最近思う。創作フレンチならぬ創作〇〇で、大ゴケしてるのあるから……。
これは京極さんが小説家だから言えることかなー
原作が小説なら面白いものになれば大抵受け入れられると思う
でも原作が絵がある漫画の場合、実写化には戸惑いを感じる人は出るし、決定の時点で嫌がる人はどうしてもいるよ
夢を壊されるから
ある程度達観した年になればこれはこれと割り切れるけど、10代や小さい子だったら無理だと思うな
舞台化より実写ドラマ・映画化のほうが阿鼻叫喚なイメージ
実写なのは同じなのに媒体が違うだけで反応が変わる感じ
映像作品の場合「作品の実写化」より「役者を売る・人気俳優を使う」のに力入れてる印象。役者を優先するから作品の良さが削られてるんですわ…(と私は思っている)
原作と違うのにうけた作品は、作り手側の「自由な解釈≠原作愛のようなもの」が受け手に伝わってるパターンかなあ。
私は原作と全く同じじゃなくても良いと思うよ。舞台、ドラマ、アニメのそれぞれに合ったやり方で、面白くしてくれれば良い。ただ、大事なところは絶対に変えないでほしい。要するに、原作のリスペクトは必要だよね。その作品に対する愛情も。見てれば、観客はどんな風に作られたかとかはすぐに分かるもんね。原作をリスペクトせずに、めちゃくちゃに変えるのなら、一から新しいものを作れよって思っちゃう。
舞台っていうか、どちらかというとドラマとか映画の実写化で
毎度同じ人物の顔ばかり見るとかアイドルの踏み台とか
俺の描きたいだけのオリジナルシナリオで燃えてるような
進撃はやばかったよね
その作品の映画/舞台が作りたくてやっているのか
関係者が生活していくために次々と新しい映画/舞台をやらなきゃいけないから良さげな作品を見繕って来てるのか
最近の乱発具合から正直後者に見えるものが結構ある
何より原作の名を使ってるのに、制作や役者から漂ってる「ほーらエサだよはよ食え」的な粗末感には一番耐えられないんだ
ほんとこれなんだけど、
つまり今回の舞台酷評だったらそれは原作の力以上に
舞台が作品として駄目だって証明になるんやで、ともなるよね
謎の性別変更とかね…せっかく原作が濁して想像におまかせしますしてるのにガッツリ悲恋にするとか、ね…